大内宿
2009年 11月 12日
ここも、旅番組で知り来てみたいと思ってました。
大内宿概要: 大内宿は会津若松と日光(栃木県)を繋ぐ会津西街道又は下野街道と呼ばれる街道の宿場町でした。
江戸時代に入り街道が整備されると会津西街道は会津藩や新発田藩(新潟県新発田市)、村上藩(新潟県村上市)、米沢藩(山形県米沢市)の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視されました。
又、大内宿は回りが高い山々に囲まれている為、独立した宿場町として発展し、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていました。
明治維新後は街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が減少し衰退していきます。
この事は大内宿の町並みが残される大きな要因となり昭和に入っても旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねていました。
その後、時代が下がるにつれて大内宿にも近代化の流れが訪れ、道路の舗装化や金属板葺きの屋根、アルミサッシなどが目立つようになりましたが、古い町並みが残っている事で昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されています。
現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつあります。
福島県フィールドワークのHP参照
平日だというのに、十数台の観光バスを始め乗用車も駐車場にいっぱいいて、臨時駐車場に車を止めなければいけない程でした。
古い宿場町の雰囲気は残されていますが、ここまで観光スポット化されているとは思いませんでした(汗)
丁度紅葉が見頃だったというのもあるでしょうが、日曜だったら激しく渋滞したらしいです。
昼ごろ着いたので、有名な蕎麦でも食べようと思いましたがかなり混んでいてこちらで食べるのはあきらめました。
写真だけ撮っておきました(笑)
この後、奥の方のお店で美味しいざる蕎麦を頂きました。
冬の大内宿も良いかなって、ふっと思いました。
さあ、八戸まで帰りま~す。
塔のへつりも大内宿も、有名な観光地ですが行ったことはありませんでした。
色々なアングルからの写真を載せてくださるので、魅力がよくわかります。
いい所に出張出来てラッキーでした(笑)
ただ、時間が無かったので何処もゆっくり見れなかったのが残念でした。
私的には、もっと違った撮り方も出来たなと写真を見て反省してました(汗)
もし機会が有ったら、冬か春に行ってみたいなと思います。
(何時になる事やら・・・爆)
でも、やっぱり青森がいいですよね!
コメントありがとうございま~す